クリスマスはキリストの降誕を祝うものであるが、旧約聖書にキリストの降誕日が書かれていないのは有名な話である。

しかし、生まれた時期に関しては福音書の記述がヒントになる。
その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
(ルカによる福音書 2.8-10, 新共同訳) 
要するに、羊飼いが野宿できるレベルの気候でなければならない。
この時期、キリスト降誕の地であるベツレヘムの最低気温は摂氏5度ほど。とても野宿できるような気候ではない。

となると、キリストの誕生日については以下の二説が考えられる。
  1. ルカによる福音書が嘘
  2. 何らかの理由で誕生日が12月25日に設定された
ここでは定説である後者に依って考えたい。
この問題を考える上で重要となるのがキリスト教の普及過程である。

ユダヤ教を改革しようとして支持を集めたイエスは十字架上で死んだが、復活を果たすことで神格化され弟子が宗教化した。(キリスト教の成立をエルサレム教会の崩壊時におく説もあるが詳しくは語らない)

その後のキリスト教の広まりは世界史の教科書にあるような流れではあるが、ローマ帝国における布教で大きな障害が発生する。
当時のローマ帝国は多神教であり、ミトラ教という太陽崇拝を教義とする宗教が力を持っていた。
ミトラ教は時の皇帝ディオクレティアヌスも心酔しており、当然迫害を招いた。

その後コンスタンティヌスによって公認され、ローマ帝国の国教となるのは教科書の語るところではあるが、ミトラ教は死に絶えたわけではない。

太陽崇拝の宗教によくあるパターンとして、冬至を祝うというものがある。
冬至は一年で最も日が短くなり、それを境に日が長くなっていくことから「神の再誕」と結び付けられるのだ。
ミトラ教においても冬至は一大イベントであり、12月25日には祭典も開かれていた。

この祭典をキリスト教が吸収して行われるようになったのが降誕祭、クリスマスである。 

キリスト教は布教先の習俗を吸収して自己の教義に付加することが多い。
これは 布教先での抵抗を軟化させるためであると考えられる。

クリスマスの場合、ローマ市民からお祭りの機会を奪うよりは、そのお祭りを吸収し、再誕の象徴である御子イエス・キリストと太陽神と結びつけた方が良いと、当時のキリスト教会は考えていたのかもしれない。